今日も世界は敵だらけ



 休憩として麦茶を取りにいったときだった。
 どうやら議論も終わったのか、部屋で重なり合うように崩れ落ちている男が二人。
 当然といえば当然だが、徹夜をしていた男たちは問題が解決した途端疲れ果て、倒れるように眠っている。
「うわ、寝てるし」
「なんか二人急に仲良くなってるし」
 後ろから聞こえた声にビクリと振り返ると、立っていたのは直美と夏希だった。
 夏希はじっと寝崩れている二人を見て、無意識のように呟いた。
「ずるい」
「あら夏希。それどっちに対して?」
「え、ちょ!」
 顔を赤くして夏希が声を荒げる。
「健二くん?」
「ち、違う!」
 必要以上の力強さで夏希が否定する。
「あ。じゃあ何々? おじさんと私、の続編かしら。報告しなきゃ」
「や、やめて! もうそれ忘れてぇぇぇぇぇっ」
「えーいいじゃない。いい思い出でしょ」
 ドタバタと足音が去ると、侘助がタイミングを見はからったように起き上がった。
「っ」
「おーガキか」
「…ガキじゃない」
「ガキはガキだろ、キング」
 からかわれていると分かりきっていた。
 佳主馬はすぐに相手をすることを止め、背を向ける。
「シシシ。まぁ拗ねるなよ、佳主馬」
 しかし、敢えて更にかかった言葉に、結局佳主馬は足を止めた。
 振り返り侘助の顔を正面から見つめる。全体的につかみどころがない、緩く、何もかもを隠したような雰囲気を持っているが、それが作られたものであることも、同時によく分かる。
(こいつが)
 全世界を混乱に陥れた、ラブマシーンの生みの親。
 そう考えれば、驚く程の天才だということもわかる。
 多分、今行っている政府との話い合いの後、正式に彼にはそういったことに関わる「防衛」のオファーがやってくることだろう。
 それ以上に、多くの後ろ暗いオファーもくるはずだが、今やこの場に居る誰もが、彼がそれに手を出すことがないと分かっていた。
 手を出す必要も、理由も『もう』ないということも。
「欲しいもんには、今のうちに素直に懐いておけよ」
「は?」
「お前が一番ひ弱そうだからな」
 さっと立ち上がり、侘助は消える。
(ひ弱、そう?)
 かっと一瞬遅れて怒りがやってくる。侘助はそれを見越したように、この場から消えている。
 そのことに更に苛立ちが募った。
「っ」
 拳で殴っても意味が無いことは分かっている。翔太を殴った拳は、あの後冷静になればやはり後味が悪かった。
 そして、何故か悔しいことに、あの画面の中で一度痛感させられた無力感が蘇る。
(ちくしょう…!)
 悔しいが、敵わない存在なのだ。今の自分では。それが分かっているから、身に沁みているから、自分はここで立ち尽くしている。
 ばっと佳主馬はその部屋を後にするが、いつもの部屋には戻らなかった。
 狭い庭を使い、気持ちを落ち着くまで師匠に教えてもらった型を繰り返す。同じ動作を、何度も何度も、体に馴染むまで繰り返す。
 その動作は苦にはならない。
 勝ち続けることが好きだった。そのための努力も嫌いではない。
 努力もせずにそうなれるとは、思ってなどいない。自分は生まれたときからの天才でもなんでもない。
 世の中に適わない存在や大人が沢山居ることは、さすがに知っている。この親戚の中にも、沢山そんな存在は居る。
(けど、俺は)
 侘助から感じるこの悔しさは一体何なのか。何故、彼のなすこと言うことに、こんなにも悔しさを煽られるのか。
 彼は一体自分の何に勝っていて、何故自分はそれを受け入れることが出来ないのか。
 そして、先ほどの言葉は一体なんだというのか。
 汗が滴り落ちても、いつの間にかシャツ全てが汗でしめっていても佳主馬は構わずに同じ動作を続けていた。




「今朝は何も手伝えなくて、すみませんでした」
 礼儀正しく、昼食時に謝罪をしていたのは健二だ。
「いいってことよ。あいつの相手をしてくれてたんだしな」
「むしろ夏希が暇そうだったわよ」
「ち、ちがっ」
 やめてよ、と夏希がまた悲鳴をあげる。健二はそんな慌てる夏希に視線を完全に奪われていたが、話題が移ったときにふと側に座っている佳主馬を見た。
「そういえば、佳主馬くんはもう宿題とか終わったの?」
「終わった」
「…優秀だね」
「あ、私あとちょっとあるんだ。英語」
「英語なら侘助が出来るだろ」
 万作の言葉に、侘助は驚いたような顔をする。
「そうだ! おじさん、助けて」
「俺は寝る」
「もう寝てたじゃん」
「まだ足りないんだよ」
「えー」
 侘助は立ち上がると、ふと側に夏希をくっつけたまま健二を振り向いた。
「発想は悪くねぇが、時間がかかりすぎる。最後の組み込みで、別のパターンを考えてみろよ」
「う、…はい」
 侘助の後を夏希が追いかけていく。
 夏希は健二を意識はしているが、長年の習慣か、恥ずかしさからか、微妙に正面からは向き合っていないように思える。置いていかれた上、追い討ちをかけられ、項垂れている健二に、何故か佳主馬の喉から声が漏れた。
 ――誰かが何かを言う前に。
「パソコン、使う?」
「え、いいの!じゃあ少しだけ…あ。申し訳ないですが、使わせてください」
 途中から明らかに言い直した健二の言葉に、佳主馬は目を見開く。その顔は、最初のようにオドオドしたものではなかった。佳主馬が心から拒絶することがないと、理解してくれている顔だった。若干情けない表情を残して笑っているが。
「は、何それ」
 佳主馬は、思わず噴出して笑う。
 それを聖美が、他の親戚が驚いているのを感じるが、笑いはすぐにひっこめられなかった。健二もつられたように、安心したように、嬉しそうに笑う。
 それが何故か無償に――嬉しくて、佳主馬は何故か余計に笑えた。
(馬鹿じゃん)
 それは、正直になれない夏希のこと。健二と仲良くしたいのだから、素直に側によればいいのだ。
 そして同じ言葉は、自分にも向けられる。
(そういうこと、かよ)
 あっという間に戻ってきて、自分よりも強く、そしてあっさりと自分の座りたかった位置に座ってしまった大人。
 自分よりも遥かに、彼と同等でありそれ以上であり、彼から尊敬すらも受けている存在。気に留められて、大切そうに声をかけられていた男。
『欲しいもんには、今のうちに素直に懐いておけよ』
 更に、憎いあの大人は、完全に佳主馬自身が気づいていない自分のことも、見抜いていたのだ。
「見返しなよ」
 発作のように起きた笑いを抑えて、にやりと笑う。
「…。がんばります」
 拳を重ねるようにぶつけて二人で小さく笑うと、その様子を一通り見ていた女性陣が呟いた。
「あれね。健二くんって…男に好かれるタイプね」
「仲良くていいじゃない」
「ばあちゃんが一発で認めただけはあるってことか」
 侘助と話が合い、佳主馬にも懐かれ、その他メンバーからも可愛がられ、信頼されている。
 あの戦いの時に率先して立ち上がったことが大きかったのだろうが、先の二人はかなり癖がある人物だ。
 それなのに、陣内親戚男子一同から、完全に好かれてしまっていることが凄いというか、いっそ呆れかえってしまう。見た目はただの、ひ弱そうな青年だというのに。
「あ。今日は向うの荷物を移動するわよ」
「ええーっ」
「あ、じゃあ手伝います」
 健二は万理子にすぐ頷き佳主馬を見る。
「佳主馬くんも、一緒にやろう」
「…」
「うわっ」
 簡単に誘ってくる健二に、佳主馬は何故か軽くけりを入れた。
 自分は、さっきあの一言にたどり着くまで、本能的に焦るまで、自分にとって声をかけやすい話題が回ってくるまで、気づかなかったにしろ悶々としていたのだ。
 今はこんなにもすっきりとした気持ちになっているとしても、やはりどこか腹が立つ。敵から送られた塩が、思いのほか大きいからなお更だ。
(まぁでも)
 自分の欲しいものが分かったのならば、徹底的に研究して攻める。絶対に手に入れる。
 努力をすることは、自分は嫌いではないのだ。
 だが、その前に、この借りた塩は。
(絶対返す)
 侘助から送られたアドバイスは、絶対に近いうちにのしをつけて返す。
(なんか、あいつハラたつし)
 不思議そうな顔をしてくる健二に、佳主馬はわざとらしく鼻で笑った。
「健二さんだけじゃ、運び終わらなさそうだしね」
「いや、そんなこと! …あるよね」
 侘助はきっと、今度はこの場所に帰ってくるのだろう。いつになるか分からなくても、ここがあの男の帰る場所だ。借りを返す場はきっとやってくるはずだ。
 そして、健二も。自分たちもきっと、この場所にまた帰ってくるのだろう。
 一緒に皆でご飯を食べて進んでいくために。
(見てろよ)
 佳主馬は、初めての血のつながりが無いけれども心から認めることのできた存在をじっと見つめる。
 この夏、自分は沢山のものを得た。
 そして、これからもきっと沢山のものを得ていけるのだろう。
「覚悟しといて」
「え、ううっ、はい……よろしくおねがいします」


 上田の空は、とても綺麗に澄んで限りなく広く、佳主馬を応援するように優しく包み込んでいた。


END



オマケ

BACK 



佳主馬は侘助を違うベクトルで意識しているといいなという妄想。

ノーマル?でも佳主馬は少し遅れてから、自分が健二と友達になりたいんだ、って気づけばいいと思うよ!
でもどうやって友達を作ったり、付き合わうのかとかイマイチ分からなくて隠しているけど若干戸惑っていたらそれはそれで可愛いと思う(妄想)