彼も彼女も五里霧中 D



「お。ラッキー」
 携帯も無く、時間も時間なので、どうやって声をかけようかと思っていとき、偶然にも扉が開いた。出てきた相手の顔を見て、陽介は思わずパチンと指を鳴らす。
 完二は玄関で数秒呆けたように陽介を見た後、疑問符だらけの声を出した。
「セ、ンパイ…?」
「おう。やーちょうどよかった」
「…って、あんた、何!」
「あはは。知らない奴と喧嘩しちまった」
「は、はぁ!?」
 完二は大声をあげてから、改めて目の前の陽介を見た。
 髪の毛はぼさぼさ、顔も少し汚れている。更に何故かこの季節だというのに上着もなく部屋着だろう服だけで、そのズボンも所々が汚れている。
「いやさ、なんか変な奴らに絡まれて、いきなり押し倒されてさ。つか二対一って卑怯だろ。んで、一発殴って――」
「ちょ、ちょっとまて!」
 色々聞き流せないことを言われなかったかと、完二は混乱する頭でひとまず制止の声をあげる。
 このまま一方的に話されてはたまらない。
「なんだよ」
 対して陽介はきょとんとしたものだ。
 完二が何をそんなに慌てているのか分からず、首をかしげる。
「何も大事はなかったぜ? つーか、やっぱり女の子って大変なんだな、とよく分かったぜ。本当」
 はは、と笑うと混乱と色んなものが頂点を極めた完二が、バンと乱暴に玄関の靴入れを叩いた。
 派手な音がなり、陽介も思わず体をすくませる。
「黙れっつてんだ! だから、今、月森先輩が…っ」
「月森?」
 名前を呼んだ瞬間、ぐいっと腕が引っ張られた。
「陽介!」
 自分の後ろから声がした。引っ張られるまま振り向くと、三十分ちょい前まで一緒にいた相棒の顔がそこにあった。
 何故か少し厳しい顔をして息を切らしている。
「なんだよ、どうしたんだよ。男前が崩れてるぜ」
 軽い口調で言うが、月森は僅かな驚き以外は表情を消してしまっていた。肩が呼吸で揺れている。
 腕を掴んでいた手がはずれ、陽介の少し汚れた肩に触れる。
 陽介はそれで、つい今しがた完二に説明しようとしていた自分の状況を思い出す。
「あーわり。お前の服汚しちまった。声かけられたと思ったらさ押し倒されて。殴り飛ばして、久しぶりに喧嘩しちまったよ。本当女子って大変なのな」
 月森からは何の反応もない。
「腕力がさすがに減ってて色々時間かかちまったけどさ。ま、けどその分、体がより軽くなった気がするぜ。今なら里中みてぇに――」
 笑っていった瞬間、何か軽い音が響いた。
 それが何の音なのか分かったのは、瞬きを二回してからだ。
 自分の視界が動かされて、そして月森の手の位置が変わっている。じわりと、熱くなる頬。そして瞬き二回分の時間。
 陽介は自分が今、叩かれたのだと分かった。
「……は?」
「お前が」
 恐ろしく感情の無い、静かな声だった。
「お前が、男だったら今、本気で殴ってる」
 言われた言葉の意味を理解した途端、かっと頭に血が上った。
「はぁ!? なんだよ、それっ」
「分からないのか?」
「分かるかよ! つーか、なんで手加減するんだよ!」
 先ほどまで暴れていたせいもあり、気持ちがあっという間に昂っていく。
(対等だって、言っただろ)
 自分は対等でありたいとつげ、月森もそれは分かってくれていると思っていた。
 普段どんな貸し借りがあっても、それでも自分達は上手くかみ合っていたと思っていた。結局お互い、背中はお互いに任せている。そんな関係だと思っていた。
(なんで)
 睨みつけたが、それ以上に憤った瞳に見つめ返され、陽介は一瞬息を呑んだ。まるでシャドウと対峙しているときの――いや、それ以上の強い感情を秘めた瞳だった。
「するに決まっているだろうがっっ!」
 腹の底から出すような、怒声だった。
 月森のこんな大きな声を聞いたのは始めてだった。そのことに、陽介は憤っていた気持ちがむしろ驚きへと変わる。
「ふざけるな」
 ぐっと胸倉を持ち上げられた。
「せ、先輩っ」
 今まで黙っていた完二が慌てるが、その完二も視線一つで月森は黙らせた。
「お前は、本当に俺が怒ってる理由が、分からないのか?」
 呆然としていただけではなく、月森の突然の変化が、陽介には全くわからなかった。
 それ以上に、この男をここまで怒らしたことに、動揺していたのかもしれない。全く口が動かなかった。
 月森はその表情をどう思ったのか、息を一度深く吐く。
 そして陽介の胸元から手を離した。自分が乱した服を簡単になおし、その体の汚れを少しはたく。
「完二」
「う、うす!」
「悪いが、今日は陽介を泊めてやってくれないか」
「あ、はい。それは全然大丈夫っすけど…」
「また明日。何かあれば連絡をくれ」
 月森はそれだけ伝えると、登場と同じほど唐突にその場から姿を消した。残されたのは、玄関から見える闇夜だけだ。
「……月森先輩、あんたが居なくなって、すぐに探していたんだよ」
 陽介は完二の言葉をどこかぼんやりと聞く。
 今更ながら指が僅かに震えていることに気づいた。
(あの月森が――)
「で、俺の家に来てないかって連絡がきて、その後連絡がないから、俺もあんたを探そうと――」
「完二」
「…うっす」
「あいつ、怒ってた」
「……そりゃ、」
 驚きは動揺に変わり、そして。
「俺、あいつ、怒らしちゃった」
 自分は一体どんな顔をしていたのか。完二が複雑そうに顔を歪めて、視線を下げた。






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