良いも悪いも運のうち  



「……あ゛ー…」
「イルカ先生、すごい声ですね」
 力尽きた声を出して、職員室の自分の机につっぷせば通りかかったくのいちに笑われた。
「はは。しょうがねぇよ、イルカ一昨日から最低な程ついてねぇもんな」
「久しぶりだよなぁ。その悪運発揮」
 慣れた同僚達は笑いながら、イルカの後を通リ過ぎる。
 イルカは、もはや怒ることさえ億劫だった。
「…何が、あったんですか?」
 控えめに聞いてきたくのいちに、答えるのはここぞとばかりに新入りのくのいちとお近づきになりたい、同僚達だ。
「いやぁ、こいつ一昨日は授業で山に登ったらちょうど前の雨で地盤緩んでいて、大暴れしていた生徒が三人くらい絡まって転んで。足くじいちまったから、その三人背負ってずっと山を歩いたうえ、あげく一人が術を勝手に発動させて、子供が飛ばされちゃって夕方から一日山を散策」
「昨日はたまたま通りかかった店の屋根が壊れて、店のおばちゃんに忍が屋根を走るからだと説教されたあげく、大工仕事をしてから出勤+残業。そのうえ、何故か大工道具を持っていたのが災いしてアカデミーの屋根修理もやらされてたもんなぁ」
「……言うな」
「やぁいい腕だったぜ。転職すっか?」
「煩い……」
 怒鳴る声も、もはや掠れきっている。
「で、でもその声は…」
「これは昨日、屋根を修理しながら生徒がしょっちゅう通りかかって、そのたんびに話かけられるのに律儀に大声でずっと答えてたら、こうなったようで」
「……お大事にしてくださいね……」
「………」
 ありがとうございます、というのも切なくてイルカは黙ったまま小さく頷いた。
「ま、イルカ。今日はもう帰れよ」
「…そう、する…」
 もはや今日はこれ以上仕事する気になれず、イルカはよろよろと立ち上がる。
 実は更に、今日も生徒の探しものに付き合って、ついさっきまで煙突に入るはめになったりして、もはや姿もぼろぼろ、顔も傷だらけなのだ。身だしなみを整える気力も、今日ばかりは沸いてこない。
「久々に…重い日々だった……」
 掠れた声。生徒をしょいすぎて痛む腰。
 なんだか全てが、己の未熟さに繋がる気がしてイルカの気持ちはどんどん沈む。
 だが、家に着く前に、ふと途中で足を止める。
 夕日が、とても綺麗に見えたのだ。
 草原に、その光はとても生える。
「そろそろ、帰ってくるのかなぁ」
 呟いて、イルカはなんとなくそのまま草原の中を歩き、適当な所で倒れこんだ。
 恋人でもある男が任務に出て、もう10日は経つ。火影から直に下った任務は、受付に座るものでもどれくらい時間がかかるか分からないが、そろそろ戻ってきてもいい所だろう。
(帰ってこないから…余計、俺の運が悪くなる)
 悔しいけれど、自分は運が悪い。
 それに対して、あの男はとても運がいい。
 何もしないでも、いいことばかり舞い込んでくる。
 だが、神は平等なのか、男はそのどれをも「いいこと」と思っていないようだったが。
「カカシ先生……」
 呟いたら、なんだか妙に自分のついてなさが、寂しさが身に染みてじんわりと涙が浮かんでくる。
「会い、たいなぁ」
「あ、やっぱり」
 途端、聞こえた声にイルカは閉じかけていた目を慌てて開く。
 すると覗き込むように、銀色の髪をした男が覗き込んでいる。
「みつけちゃった」
 そして嬉しそうに、口布の上からでも分かるように、笑う。
「…カ、…っ」
「………」
 カカシ先生。
 帰ってきたんですね。
 言いたかったが、枯れた喉ではすぐに言葉にならなかった。
 だが、それを言い直す前に、ふとカカシの表情が硬くなる。
「……イルカ、先生」
 そして気付けば、がしりと肩を捕まれ上半身を起こされる。
「いつっ」
 突然の動きに腰が痛み、思わず手で抑える。
「……」
 痛みに目を瞑ったイルカが、再び瞳を開けたとき、視界に映ったのは何故か顔面蒼白になっているカカシだった。気のせいか、手も小刻みに震えている。
「イ、イルカ先生…」
「は、はい?」
 こんなカカシの動揺した姿は、初めて見た。
「お、俺が任務の間に……っ」
 カカシが何を言いたいのだろうとイルカは首を捻る。
 だが、ふと思いついたのは傷だらけでぼろぼろの自分だ。
 常日頃、カカシはイルカが怪我をすることに対して煩かった。少しでも怪我をすると、怒鳴るような怒り方は決してしないが、いつもじめじめと遠回りでもずっと言われつづけていた。
「…すみません」
 傷だらけで、と続けようとしたがその途端抱きしめられる。
 突然のことにイルカは反応できない。
 カカシが外で、こんな風にくっついてくるのは珍しい。
 だが抱きつかれた衝撃で、やっぱり腰が痛んで手でさする。その動作を見て、カカシは更に顔をゆがめた。
「なんで、イルカ先生が謝るんですか…っ」
 きつく抱きしめられて、それからばっと体を離される。
 見つめてくるカカシの瞳は真剣だ。
「誰です」
「へ?」
「どこのどいつですか…あなたに……」
 なんのことを言ってるのだろう。
 自分がもし、怪我をした理由なら間違いなく自分の鍛錬不足に原因がある気がする。
「いえ、俺が悪かったんで…」
「庇わないでください!」
 真剣な声に、びくりと体が震える。
「誰です」
 あまりの真剣さに、イルカは驚いて声が出ない。
「誰なんですか」
 だがカカシは、その間も真剣にイルカを見つめてくる。
 久しく見ない、その真剣な瞳はどこか恋人の端正な顔立ちを際立たせる。
(…格好いいなぁ)
 馬鹿だと言われるかもしれない。
 だが、そんなことをぼんやりとイルカは考えていた。
「黙って任務にいったことは誤ります。だから…お願いだから、言ってください」
 今度は泣きそうな顔になる。
(どんな顔をしても、似合うよなぁ)
 惚れた欲目じゃなくても、多分そうなんだろう。
 普段あんな妖しげな格好をしているのが、本当に勿体無い。
「イルカ先生」
 呼ばれて、イルカは我に返る。
「あ、えっと。本当に……生徒の悪戯のようなもんなんで」
「悪戯……」
「え?」
「悪戯で、あなたに手を出したっていうんですか……」
「は、え、…カカシ、先生?」
 イルカはようやく、おかしいことに気がつく。
(何か、かみ合ってない?)
 カカシのこの態度。
 一体何を意味するのか。
 イルカは少し冷静に考えてみる。
 ぼろぼろの姿。痛む腰。掠れる声。
(………)
 嫌な、予感がした。
「あの…カカシ先生?」
「なんですか」
「俺、ただ腰を痛めただけですよ?あの、子ども背負って」
「庇わないでください。あなたは本当いつも生徒に甘い」
 カカシは真剣だ。
 だが、世の中には真剣だからこそ、やっかいなことは沢山あるのだ。
「恋人が襲われて、どうして黙っていられるんですか!!」
 そして。
 イルカは、完全に誤解されていることを知る。
(でも、ちょっと…嬉しいかも)
 恋人がここまで真剣になってくれるとは。
 だが、事態はそんなに軽いものではない。
「あの、先生本当に…」
「だから、お願いですから庇わないでくださいっ」
「だから、本当に庇ってないんです!」
「また嘘をっ」
「嘘じゃありません!!」
「いいえ、嘘ですっ」
「嘘じゃないったら、嘘じゃないんです!」
 叫んで、余計喉が痛んでイルカは激しくむせる。
 その途端、カカシの動きが止まる。そっとその手がイルカの背中を労わるようにさする。
「だ、から…本当、何もないんですって」
「……意地っ張り」
 一体こうなれば、どうすればいいのか。
 そこで、ふとイルカは思いつく。
「じゃ、じゃあ…俺を抱いてください。そうすれば…」
 分かるでしょう、と言いかけてイルカははたと思い出す。
 今、腰が物凄く痛むのだということを。
 途端に口を閉じて、顔を青くしていくイルカをどう思ったのか、がしっとカカシの
手がイルカの腕を掴む。
「帰りますよ」
 そして、気が付いたら抱きかかえられていた。
「な、え、ちょっっ」
「あなたの言うように、確かめます」
「ま、まって!」
 死ぬ。
 死んでしまう。
 こんな腰でやられたら、間違いなく明日は生きていられない。
 だがカカシは上忍。イルカの抵抗などものともせず、あっという間に己の家へと帰ってしまう。
「イルカ先生」
 でも耳元で囁かれる声とか、抱きしめてくる手が僅かに震えていたり。
 久々の恋人の体温だったり。
(腰、壊れても死にやしない、よな…)
 家の扉をくぐった瞬間、イルカはカカシの顔を引き寄せて、自ら口付けた。



 イルカは一つ学んだ。
 腰が壊れれば、人は死ぬかもしれないということを。
「う……、し、ぬ…」
 体が辛いのはイルカのはずなのに、何故かイルカは蓑虫のように布団に包まってしまった恋人を宥めるのに必死だった。
「だ、から…違うって言ったじゃないですかぁ」
「……あなた分かり辛いんです」
「あなたが思い込んだだけなのに…」
「恋人の心配をするのは、当然じゃないですか」
 やりかけて、ようやく事実に気付いたカカシはひどかった。やめてといっても、絶対意地でも止めないといって散々貪られた。イルカとて、気持ちよかったが、それ以上にその後の現実に戻ってからの、腰が怖かった。
 途中で腰の感覚がなくなり、快楽にだけ支配されたころ、頭の中では本当に死ぬかと思った。
 そして今。
 腰が冗談ではなく、壊れている。
(これは…かなり、やばいだろ……)
「ううう。すみません、俺が悪かったです…」
 力尽きて、丸まった恋人の上に倒れこむ。
 すると、にゅっと出てきた手に、イルカは腰をさすられた。
「……大丈夫ですか?」
「…死んでます」
「痛いのに、あんなに動くから」
「……」
 あなたのせいだと言い切れれば、どんなに楽だろう。
 こんなとき生真面目な己の性格が酷く、憎い。
 だが、そもそも。
「あなたが10日も任務行ってるから、悪いんです、よ……」
 だから俺の悪運が重なるんだと、これこそ八つ当たりだがイルカなりには理論の通った言い分らしいことを呟く。
 するとカカシは一瞬動きを止めてから、声を殺して笑い出す。
「な、っ」
「はい。俺が悪いってことでいいですよ」
「なん、かそれ、むかつきます」
「すみません」
 そういって、再度寝ているカカシの上に抱き上げるように抱え込まれ、腰をさすられる。
 もはや怒ることも馬鹿らしくなって、イルカはカカシの体に体重をかける。
「ぐっ」
 カカシの苦しげな声を聞いて、イルカはようやく満足そうに笑った。












小話でした