対 5  


 数時間眠りをとり、カカシは体を起こした。本当ならば丸1日くらい寝ても足りないくらいだったが、明日は休みをもらえるだろうから、今はイルカと話をするために家を出た。
 歩きなれた道を通り、イルカの家についたが気配は全くなかった。居留守というわけでもなく、本当に誰もいないようだった。
(今まで、予告したときはちゃんといたんだけどねぇ)
 ぼりぼり、と頭を掻きながら、踵を返す。もちろんこのまま自分の家に帰るわけではなく、イルカを探すためにだ。
 ふと足元を見ると、イルカの足跡が道に残っている。焦っているのが分かる。それを見て、カカシはなんとなく嫌な予感に襲われた。
 いつもの繁華街へと駆け込み、屋根の上を移動して、あの男が行くだろう店を幾つか回る。なかなか男も、イルカも見つけることが出来ず、気だけが焦る。今日は何かの祭りがあるようで、夜なのに子ども達の姿も沢山あり、通りの賑わいもいつも以上のものだった。
 走りながら、熱気を感じる。いつもこの熱さに、生きている人が沢山いることを感じ安心していた。だが、今は同時に不安もかきたてられる。すぐにそれは、探している人物がこの中にいないからだと分かった。知っている人間が、この中には誰一人いないのだ。
 カカシが最後に行き着いたのは、一番最初に、二人をみかけた店だった。だがその店についた途端、カカシは感じなれた気配を感じ、店の正面へ回る。
「あー違うってば!そうじゃねぇっての」
 店の入り口から少しだけ離れた所でしゃがみこんでいたのは金髪の少年だった。頭にはお面をつけていて、疲れているだろにお祭りに行っていたのは明白だった。少年の前には、少年よりも更に小さな子どもがしゃがみこんでいる。その子どもはナルトの言葉に、小さく笑っていた。
(あいつも本当元気だね)
 声をかける気は無かった。だけれど少年を見ると、不思議と少しだけ焦る気持ちが落ち着いた。 
 だが、少年には声をかけず、イルカを探すために中へ入る。この手に店は、結界がはられていたり、忍がやとわれていたりする。忍びこむことも簡単だが、顔もそれなりに聞くのだからと裏口から入れてもらった。
「ん」
 踏み入れた途端、イルカの気配を感じた。足が自然と駆け出す。嫌な予感がする。
 今カカシが感じているのは、あの一般人ぶったイルカの気配ではなく、忍としてのものだったからだ。その気配は、だんだんと僅かずつだが強くなっていく。
 部屋にたどり着いたとき、イルカが襲われているのが一瞬にしてわかった。前のようにイルカは抵抗する気配も男に見せていない。カカシは、襖を蹴破りたい衝動に駆られる。
「へぇ、案外そそるじゃねぇか」
 ふざけるな、と叫びそうになった言葉が喉に絡みつく。襖を開けなくとも、気配で一体今男が何をしようとしているのかなんて、分かってしまう。二人がどれだけくっついているのかなんて手に取るように分かってしまう。
 だが、その瞬間。
「イルカ先生!」
 思わずカカシは叫び声をあげて、襖をあけた。イルカから感じた気配は。
「…っ」
「な……」
 上忍の男から小さな呟きが漏れる。半裸のイルカの手には、くないが握られ、それが男の体の中に埋まっていた。男の動きが酷く鈍い。薬でやられているのかもしれない。だが、カカシはすぐにイルカの背後に回った。そして、その一瞬で、カカシは天井に逃げていた男がイルカに寄越そうとした一撃を止める。
「て、め…っ」
 男は印を結ぼうと指を動かしたが、どうやら痺れ薬を使われたようで手の動きに隙があった。カカシはそれを見逃さずくないを投げつけ、同時に男の背後に回り首に一撃を入れる。男の体が音をたてて畳に落ち、同時にイルカの刺していた分身がゆらりと消えた。
 イルカの荒い呼吸だけが部屋に響く。イルカはくないを持ったまま、目を見開いて男がさっきまでいた場所ばかり見つめていた。
「イルカ、先生…」
 呟いた声には、とまどいが隠せなかった。イルカは好きだと言っていた男を、何故くないで刺そうとしていたのか。
「…強くないと、やっぱり駄目なんですね」
 静かな声だった。だが、それはどこか嘲笑する響きを含んでいた。
「何を」
「言ったじゃないですか。強ければ何でも出来るって」
 イルカが立ち上がる気配に、慌ててカカシはイルカの前に立つ。イルカの虚ろな瞳に、妙に苦しくなる。イルカの表情は気持ちが悪い程澄んでいた。手から、くないが捨てるように落とされる。
「地位につくことも、人を殺すことも」
「イルカ先生」
「誰かの生なんて簡単に自由にできる」
 イルカの皮肉な笑みに声が荒くなる。
「イルカ先生!」
 今何かを話さなくてはいけないと強く思った。静かな、己を嘲笑う声が、イルカの本当の声だなんて思いたくなかった。
 イルカの視線が倒れている男に移る。その瞳をみて、一度もイルカの瞳に愛情なんて込められていなかったことを今更ながら気が付いた。恐ろしい程、静かで穏やかな、動かない感情が収められていただけで。
「俺は、多分それなりに強いです」
 イルカの瞳は男を見つめたままだった。
「でも、暗部を辞めました。何故だか分かります?」
「だから、それは」
「人を殺すことしか出来ないからですよ」
 何か言おうとするイルカを制するようにカカシは口を開いた。
「顔も知らない人を守る、里を守るという名目のため、ただ人を殺したりすることしか出来ないからですよ」
 言いながら、カカシの中に言いようも無い怒りに似たものがこみ上げてきた。それは我慢しようとか、押さえるべきだとかは全く思わなかった。
「あんたは人殺しになりたかったわけじゃないでしょう。それなのに一体なんでそんなことを言うんですか。しかも、なんで俺の前で言うんだ…!」
 完全に八つ当たりでもあると分かっていた。だが目の前で、ぼんやりとした視線をしているイルカを見ていると本当に腹が立った。その瞳が自分を映していないことが、更に腹が立った。
「あんたは、一体何がしたい!俺に受付に寄れなんてあんたは、なんで言うんですかっ」
 体まで差し出して、と続きそうになった言葉は無理やり飲み込んだ。それは当然、自分にだけではない。何かしらの機会を窺うためにしろ、目の前で倒れている男に体を提供し、触られ、怪我まで負いながら。
 一瞬、沈黙が訪れる。どこか遠くから、祭りの太鼓の音が微かに聞こえた。
「……俺は」
 イルカの瞳は相変わらずだったが、静かな言葉が漏れた。
「俺は、許せないんです」
 幾分か落ち着いたが、その声は自虐に満ちていた。
「カカシ先生は見たことありますか?」
 何を、と問うように視線をなげかけるとイルカの顔が歪んだ。
「ナルトの体ですよ」
「……見たことないですね」
 さっきみた、笑った顔のナルトが浮かぶ。同時に、波の国でみた小さな背中を思い出した。
「こいつは、ナルトを傷つけたんです。でもそれは珍しい話じゃない。里の者はナルトを忌み嫌っていたからだ。だけれどね、ナルトの背中下にも、沢山傷がある。それは、あの男がナルトを傷つけた時の傷だ。言葉だけじゃ足りず、あいつは、ナルトを傷つけた」
 それも、最低な方法で、と呟くとイルカの手が、その時のことを思い出しているのか小刻みに震えた。
「ナルトが何をしたって言うんだ。何に、この男は。この、男は……っあんな子どもに…!!!!」
 感情の高ぶる声に、思わずカカシは強い声で名をよんだ。イルカの瞳が倒れている男を刺し殺そうとするように鋭くなる。
「イルカ先生!」
 カカシの言葉に、イルカはゆっくりと顔をあげた。
「なんで、あんたにとって、ナルトはそんなに大切なの?」
 その瞬間、ばしゃんと弾ける音がした。同時に聞きなれた声が響く。カカシが反応する前に、イルカが窓へと駆け寄った。
「ナルト!」
 今にも窓から飛び降りそうな体は、そのままの姿勢で止まった。カカシが一瞬遅れて窓から下を覗くと、ナルトの金色の髪がすぎに目に入った。その姿は酷く慌てている。その理由はすぐにわかった。店と道の間にある川に、ナルトが話し掛けていた子どもが落ちたのだ。ナルトはあっという間にその中へと飛び込んだ。
「イルカ先生?」
 ふと気づくと、隣でイルカは呼吸を忘れたように止まっていた。ナルトがまさか川に飛び込んだくらいでくたばるとは思わないが、それなりに体力を消費するうえに、ヘタをすればあの小さな子どもは命に関わるかもしれない。いつものイルカなら間違いなくすぐにでも飛び降りていただろう。
「イルカ先生」
 強く名前を呼ぶと、イルカの唇がかたかたと震えた。同時に、後ろで気絶したと思っていた男が起き上がる気配がする。咄嗟にカカシはイルカの体を抱え窓から離れた。
 だが男は向かってくる気配はなく、痺れる体を数度ふり、舌打ちをしながら窓から飛び降りる。
「え」
 カカシの声に、イルカは今意識を取り戻したとでも言うように、窓から飛び降りた。カカシもそれに倣う。水の上に降り立った男は、小さな子どもを引き上げる。イルカは側でばしゃばしゃと水音をあげている少年を引き上げた。
「馬鹿がっ」
 子どもに上忍の男は悪態をつき、容赦なくその頭をはたいた。
「何するんだってばよ!」
 それまでイルカが突然現れたことに驚いていたナルトが一番先に反応した。
「うっせぇ。ぶっ殺すぞ」
 ギロリと上忍の男が殺気をこめて睨むが、ナルトはかろうじて耐える。それを見かねてカカシは間に入った。
「へぇ、あんた子どもいたの」
 思ったことを素直に口に出した。ナルトがえ、と呟く。視界の端に映っているイルカはさっと顔を下に向けた。
「…しらねぇよ」
 さすがに目の前の男も、カカシにつっかかることはなかった。男は子どもの襟首を掴み持ち上げるが、ナルトに手をはたかれる。
「そんな扱いするんじゃねぇっ!!」
 ナルトは純粋に怒っていた。その怒りはとても素直だとカカシは思う。だが上忍は何事か呟いて子どもを放り投げる。それをナルトがなんとか受け止める。次の瞬間には、男の姿は掻き消えていた。
「あー!逃げるなっ!卑怯ものーーっ」
「お前ねぇ」
 呆れたように言うと、ナルトはカカシをきっと睨む。それから子どもの頬をぺちぺちと叩く。すると子どもは数度咽た後、ゆっくりと瞼を持ち上げた。ナルトはそれに嬉しそうに笑う。
「よかったってばよっ」
 満面の笑みだ。小さな子どもはまだ意識が朦朧としているのか、意思の見えない瞳でじっと目の前の少年を見詰めている。
 カカシはナルトの手から子どもと取り上げ、忍犬を呼び渡す。病院への手配を頼み、それからもう一度ナルトを見た。
「お前、今の子と知り合い?」
「へ?違うってばよ。祭行こうとしたら一人で座ってから、遊んでやったんだってばよ!」
 へへ、と鼻をすりながら少年は偉いだろ、というように笑う。
「で、さっきの男はお前知ってる?」
「カカシ先生っ!」
 鋭いイルカの声が響く。だがカカシはじっとナルトを見る。ナルトは嫌そうに顔をゆがめた。だがそれは、嫌いなものを食べるときのような、根深くは無いものだった。
「知ってるってばよ。あいつめっちゃ性格悪いんだって!俺が火影になったら絶対いい奴しか上忍になれないようにするってばよ!」
 その言葉に、自然と顔が緩んだ。だが、ナルトの瞳が一瞬イルカを捉える。切なそうなその瞳を見て、カカシはナルトの頭をぽんと叩く。
「もう解決したよ」
 え、とナルトがその言葉の意味を問うように振り返った瞬間、そのまま頭を掴んで勢いよく放り投げた。
「ま、あとはお前が地道に修行することだ」
「ぬ、わぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ」
「カ、カカシ先生っっ」
 慌てたイルカの声は、すぐに止まった。カカシが投げた先に、別の子ども達の姿をみたからだ。投げられたナルトは見事サクラやサスケ、いの達に命中する。そのまま一緒にいたシカマルが何かを言って、ナルトが騒いでいる。そして当然だが、サスケは物凄い瞳でカカシを睨んでいた。
「いやぁ。いいですね、生徒を持つっていうのも」
 のほほん、と言うと何も返事は返ってこなかった。
「ナルトも、最初の頃に比べれば全然立派だ」
 昔を知っているわけではない。だが噂は聞いている。今も昔も噂を耳にしてきたが、だんだんと噂の量は減ってきている。
 子ども達の姿が消えてから後ろを振り向くと、イルカの瞳から涙が溢れかえっていた。止まる気配もなく、つるつると涙が零れ落ちている。
「イルカ先生……」
 一瞬驚いて動きが止まってしまったが、カカシはゆっくりとイルカに近づいた。
「あんたは、寂しい人なんですね」
 小さく呟くと、イルカの瞳がゆっくりと自分を見た。瞼を閉じて、首を振られるが、涙は閉じた瞳からもつるつると零れ落ちている。
「寂しい人だよ。あんたはあんたが優しくて暖かいだけ、寂しさを知っている」
 イルカの頬に手をあてると、涙が手袋に零れ落ちる。それがもったいない気がして手袋を外した。
「俺は、ただ…卑怯なんです」
 イルカは苦しそうに呟く。その表情にはもう嘲笑するものも、自虐的なものも無かった。ただ、悲痛なものが溢れていた。
「俺は、誰かが何かをなくす所も見たくないし、もう何もなくしたくないんです」
 頬にあてた手は、どかされることもなく、カカシは少し嬉しさを感じる。心臓が、煩く音を立て始める。ずっと探していたイルカが今、本当にこうして手を触れている位置に立っていることを、間違いなく感じていた。
「でも、ナルトは、寂しさを知っていた。誰よりも孤独なのに、それでも暖かさを知っている人間のように、寂しさを知っていた。俺は、人と深く関わるのはもう止めようと思っていたんです。だけれど、あいつなら」
 あいつなら、とイルカの唇が再度音にならない言葉を紡ぐ。
「裏切らないと思った」
 そう思ったらもう駄目だった、とイルカはつぶやいた。一人で生きようと思ったのに、俺はあいつを自分の中に入れてしまったと、震えるように声が響く。
「俺はおかしい。おかしいくらい固執してる。だけれど、それくらいナルトを傷つけたこの男が許せない」
「けど、ナルトはもう許してる」
 イルカは静かに首を振った。
「けど、俺は許せないんです。今でも、あのナルトを傷つけたと思うと……っ」
「止めなさいよ。もう」
 少し強い口調で言うと、ようやくイルカの瞳が開いた。黒く潤んだ瞳に自分の姿が映っている。
「だって、あんた本当は男好きじゃないんでしょうに」
 イルカの口は閉じられたままだ。
「それにさ、あんた優しくされる方が好きでしょう?」
 今度はイルカは口を閉じたまま首を横に降った。
「嘘つき。あんた、俺のことをつっぱねられなかったのだって、俺があんたを好きだって気づいてたからなんでしょう」
「ち、違うっ!」
「違わないよ」
 マスクを下ろすと、イルカが何を思い出したのか体を一瞬震わせた。
 そしてそのままぐっと近寄り、零れ落ちる涙を舌で舐めとった。イルカの体が逃げるように暴れるが、そのまま押さえつけてそのまま唇をむさぼった。
「あんたにとってナルトは恐ろしく大事なんでしょう?自分がどうなってもいいくらい、あんたは大事なんでしょう。そして俺をつっぱねることも出来ないんでしょう。でもね」
 唇を近づけたまま、囁くように言うと、暴れる気力が無くなったイルカがぼんやりとカカシを見た。
「それは、あんたが寂しい証だ」
 卑怯でもなんでもいい。あんたはとにかく寂しいんだよ、と呟いてぎゅっと抱きしめる。抱きしめる体は温かかった。
「あんたが寂しいと言えばいい。ナルトの寂しさに、ナルトの辛さで怒るな。全部、あんたのもんだよ。でね、俺はあんたが寂しいのは嫌なんだよ」
 イルカの口に指を入れた。そして開かせたところで、深くもう一度唇を合わせた。
 体を押さえ込み、舌を絡め取る。奪い取るように、絡め、吸えば、混ざり合った唾液がイルカの口の端から零れ落ちた。イルカの体が苦しいのか小刻みに震えても、逃がさず、反れる背中にあわせるように体を倒していく。
「イルカ先生」
 今完全に自分の下には、初めて出会ったときに感じたイルカがいると思った。
「ねぇ、俺のこと、嫌いですか」
 上着の中に手をいれ、素肌に直接触れれば、イルカの体が跳ねる。
「けど、俺はあんたが嫌いでもあんたが好きだよ。それはもう相手の、あんたの意思なんて関係ないくらいね」
 突然イルカの動きが止まる。
「けど、それはあんたと同じみたいだから、もう遠慮なんて絶対にしないよ?あんた、絶対俺のものにする。捕まえるよ」
 そうすればあんたは寂しくないでしょ、とカカシが軽い調子で言えばイルカはいっそう混乱していく。
「な、か…勝手に…っ」
「勝手でいいよ。だから、好きになってね。あんたがこの男を許せないままでもいいよ。俺と一緒にいるとき、実際あんた、この男のことを考える暇なんて無かったでしょう?」
 言葉が出ない様子に、カカシは満足して、ちゅっと音をたててその唇を啄ばんだ。
「俺はそれにあんたより強いよ。だからこの男を殺したいなら、幾らでも手伝ったげる。俺が、昔先生からもらった、唯一の常識なんかより、あんたの方が大切だからね」
「…っ」
「いいよ、ねぇあんたのためなら俺はいくらでも殺すよ」
 混乱して言葉がでないイルカにカカシは笑う。絶対に自分にそんなことを強請れないだろうとわかっているけれど、それくらいだと教えるように囁いていみる。
 もうこんなにも捕まえているのに、腕の中でイルカは否定する言葉を探している。カカシは、イルカの暖かさを抱きしめながら、ふと暗い愉悦と光に似た愉悦が交じり合っていくのを感じた。







END