白い紙を前にしてイルカはため息をついた。
 それから、当り障りのない文章を二行ほど書いてペンを止める。
「……慣れるどころか悪化してないか…」
 現在たまっているカカシからの手紙はすでに10通になっていた。


  手紙*意味  




「はい、イルカ先生」
 にこにこと笑いながら男が差し出すものは、報告書。だけれどそれにはいつものようにお約束がついていた。
 いつのまにか、カカシ個人が任務に出たときに付けられるようになった手紙。それも決まって、かならず受付に誰もいないときを見計らいカカシは現れていた。
「お疲れ様です。無事で何よりです」
「はい」
 カカシはそのイルカのお決まりの挨拶に、至極嬉しそうに笑う。
 だからどこかイルカも気恥ずかしさを覚え、視線を受け取った報告書にすぐにそらす。
 そのまま何も言わず、報告書のチェックをする。その間、カカシは何も言わない。だから余計その視線を感じるようで、イルカはあせるし、顔をあげられなくなる。
「はい、大丈夫です」
 だけれど、ずっと下を向いているわけにはいかないから、勢いよく顔をあげイルカはカカシの顔を見ないようカカシの手元辺りを見る。
 するとそれにすぐ気づいたカカシは、イルカの視線にあわせるようにしゃがんでくる。
「……」
 ばっとイルカは顔を上にあげる。カカシは立ち上がる。
「……」
 ばっとイルカは横を見る。カカシは移動する。
 左右、上下、左下、上右下。
 結局先に根負けしたのは、イルカの方だった。ことの不毛さに気づいてしまうのは、常識がある人間の方が確実に先なのだ。
「カカシ先生…、…っ」
「はい」
「…。何か御用でしょうか」
「いえ。そんな特にこれといっては」
 目をそらすことをやめたイルカの瞳をカカシはじっと見る。その声は嬉しさがあふれている。
 イルカはドキドキしながらも、チクリと痛む心臓を感じ思わず重い息を吐く。
 嬉しそうな目を見るのは辛い。それは後ろめたいことがあるからで、イルカはその理由に大いに心当たりがあるのだ。
「申し訳ありません」
 イルカの突然の一言に、驚いたのはカカシだった。
「え」
「申し訳ありません。まだ、返事書けてないんです」
 イルカは重いものを吐きだすようにそう呟いた。だがカカシは意外そうに目をパチパチとし、それからサラリという。
「え。なんで?だって先生返事書かないっていったじゃない」
「それはそうですけど!で、でも礼儀上もらいっぱなしっていうわけにはいかないじゃないですか」
 最後の方は口の中でイルカは喋る。
 カカシはそれを聞いて少し笑う。
「あーもう。イルカ先生って、本当イルカ先生っていうか…」
 呟きながら、ぐしゃぐしゃと自分の髪を掻く。
「だ、だって!あなたが手紙をくれるからいけないんです!俺は本当に手紙を書くのが苦手で……っ」
「嘘」
「嘘じゃないです」
 イルカはむっとして思わず言い返す。
「だって俺知ってるよ?イルカ先生、生徒の日直帖に毎回コメント沢山つけてるじゃない」
「はぁ……?」
「あれだって、手紙みたいなものじゃない」
 カカシの言葉にイルカは目を丸くする。
「全然違うじゃないですか」
 確かにイルカは、生徒のコメントに沢山の自分なりのコメントを書く。もちろんそれは一発書きだ。
「俺がね、手紙を書くのは。楽しいし、そうやって自分がいないのに違う場所でイルカ先生が俺を思い出してくれるのが嬉しいから」
「お、思い出してないですよ!!!」
「それに」
 カカシは嬉しそうに笑う。
「手紙をかけない、っていうのはそれは相手が俺だからなんでしょう」
 それは、とても嬉しそうな声で。優しい瞳で。
 思わず一瞬イルカの動きが止まる。そして何かを言おうとして口を動かすが言葉にならず、その後一瞬にして顔が真っ赤にそまった。
「な…っ、え、な……っっ」
「ねぇイルカ先生」
「な、え、なっ」
 イルカは動揺して言葉をつむげない。
 どきどきと心臓の音がうるさくて何も考えられない。だけれどまとまらないながらも、生徒の親には手紙を書いているし、日直のコメントはかけるし、同僚や火影様にも手紙は多分それとなくは書けるとか、考える。
「好きですよ」
 イルカはガタン、とうるさいほど椅子の音をたてて立ち上がる。
 だが足が馬鹿になったように動かない。最初のときは、真剣な瞳の前に動けなくて、気持ち悪いとか嫌だとか思う前にその真剣な瞳にほだされるように、返事を待ってくださいと言った。そう思っていたのに。
 これは緊張ではない。なら、己の足を止めるものは、何だ。
「…わ……」
 イルカは顔を赤くしたまま、カカシをにらみつけるように見る。
「分かりません……」
 搾り出すような声で、イルカが告げられたのはその一言だけで。
 それは嘘だ。もう答えは目の前まできている。だけれどイルカは、分かりながらもただぎゅっと目を瞑った。
 カカシは口布を下ろし、そんなイルカを見て笑う。
「分からないんですか」
 その口調は、嬉しさを含み口元は緩んでいる。イルカはその現れた顔に驚きを隠せない。
「そうですか。分からないんですね」
 カカシは再度呟いて、そして笑う。
「うん。じゃあ…あ。ちょっと待ってください」
 カカシはイルカが机においていたメモ帳に、イルカのペンを使いささっと書く。
 そこには綺麗な字で、大好きです。と書かれていて。
「はい」
 それを目の前で渡されたイルカはもう何も言えず。
「俺の気持ち。持ち歩いて、考えて?」
 そのまま嬉しそうにカカシが去っていっても何もいえないまま、ただその場に立ち尽くしていた。
『手紙って何のためにあるんだよ』
 そんなことを呟いたのは、昨日じゃなかっただろうか。
 当たり前のことだけれど、突然イルカはその答えを思いつく。
「気持ちを伝えるために、あるんだろ……」
 ああ、だから自分はあんなにも迷っていたのかと。カカシ先生からの手紙にあんなに困惑していたのか。そして両親の手紙に、一筆添えてしまったのかと。
 イルカは糸が切れたように、ガクンと倒れこむように椅子に座る。
 遠くで子どもたちの騒ぐ声が聞こえた。
「……熱い」
 顔はまだ熱をもっている。手元の手紙と紙を見ると、さっき以上にまた顔が熱くなる。
 自分はカカシ先生を好きなんだろうか。
 イルカは初めて、自分に向かってその問いをした。答えが見えていそうなその問いを。
 口に出すことも、何かに書くこともできなかったけれど、その問いをはじめて自分の中でイルカは持ったのだった。答えに近づくための、問いを。