春と  



 花見をしよう、と言い出したのは誰だったか。
 夜桜帰り。桜の花も綺麗で、宴会も盛り上がった帰り道。なぜかイルカは大荷物だった。
 そりゃもう夜逃げするのか、というような勢いだ。
 背中にはやけに古風な柄の、巨大な風呂敷包み。手にはガチャガチャと音をたてる袋。どれもひどく重そうだ。
「ぜぇ…ぜぇ……」
(つーか、重い。重すぎだろ、これっ)
 いくら忍と言えども人の子だ。
 酒をしこたま飲んで、あげくこの大荷物でえっちら歩いていればさすがにそろそろイルカの息も切れてきた。
「に、し…ても、これどうするんだ…」
 そう。
 イルカが抱えているのは、大量の。大量すぎるほどの酒だった。
 理由は簡単。ただ花見であまったのだ。だが余ったにしてはやけに大量なのは、なぜかアカデミーのメンバーで花見をやるといったら、生徒の両親らがすれ違う道々で差し入れしてくれたからだ。ついでに自分たちでもちゃんと持参していた。なのに馬鹿みたいにもらってしまったのだ。
 いつもありがとうございます、とか笑顔で言われたらもらうしかない。それが教師たるものだ。
(その上、先生に担当してもらうようになってから楽しそうでなんて言われちゃぁ…!!!)
 だから、余ったって捨てることはできない。
「まだ家全然みえねぇ…」
 しかし、いくら何でも持ちすぎた。
 だってみながこのまま置いてくか、なんていうのだ。確かに他の同僚らは、つぶれた奴らをしょっていた。イルカは偶然、同じ方向の奴がいなかったから、そのままあまり物回収担当になってしまったのだ。
 真っ暗な中。そろそろ歩くのにも飽きてきた。
 が。
「……」
 タタ、と自分の後ろの方で音がした。
 振り返るが人の気配はないし、当然視界に誰もいない。
(気のせいか)
 と思ったが、また何か音がした。
 何気なくもう一度振り返れば、今度は白くぼんやりしたものが遠く離れたところから近づいてきているのが見えた。
「………!!!!?」
 ふとイルカは思い出す。
 今日同僚らが言ってなかったか。
『桜の季節はさ、幽霊もよくでるらしいぜ。桜って幽霊の好物らしいぜ』
「…。じょ、冗談だよな」
 ごしごしと、重い荷物を持ったまま目をこするが、ぼんやりとした光はやっぱり存在していて、すごい勢いで近づいてきている。
「う、嘘だ――――っっっ」
 言いつつ、イルカは勢いよく駆け出した。
 重い荷物を持っているとはいえ、忍は忍。だが所詮今は酔っ払いだ。
 一生懸命走るが、後ろの光はどんどん、どんどん近づいてくる。
(ナルトすまん!疑ってた俺が悪かったっ)
 動転しているイルカは、つい最近元生徒がそんなことを騒いでいた姿を思い出してしまったりする。
 しかしそんなことを思っていれば、本当に光が近くなってしまった。
「ぎゃー!!!」
 まりの近さにイルカは本当に悲鳴をあげて、手にもっていた袋をなげつけた。一瞬、光の動きが止まり、その隙にとイルカは猛烈に駆け出していく。
(すみませんすみません!けど、みなさんの気持ちで俺は助かってます!!)
 投げつけた酒瓶に一生懸命謝りつつ、イルカはもう片方の袋も投げた。
 が。
 今度は相手もひるむことなく、反対にがしりと腕をつかまれた。声にならない声をイルカはあげるが、聞こえた声にイルカは別の意味で言葉をなくした。
「落し物ですよ、イルカ先生」
「……」
「イルカ先生、落し物多いですよね」
 そう。視界に立っていたのは、カカシだったのだ。
 小さな明かりを手にもっているせいで、なのにあんなに早く走るから、あんなに不思議な光として目に映ったのだ。
(なんだ……っ)
 ガクリ、と思わずイルカの膝が折れる。
「にしても、偶然通りかかってよかったです」
 偶然。
 そんなことを言われても今のイルカは、カカシ先生って親切だよな、とかそんなことしか考えられない。
 だって、命が助かったのだ。
 倒れるように地面に手をついているイルカの前にカカシはしゃがみこむ。
「大丈夫ですか」
「生きてますから」
「そうですか。……」
「……?」
「………」
 じっと見てくるカカシの視線に耐えかねて、視線をそらせばそこにカカシがいた。
 あれ。と思いそらしてみてもやっぱりそこにカカシがいた。
「……」
 それは、人のなせる速さではない。
 むしろ幽霊よりすごいかもしれない。
「…何でしょうか」
 この短いようで長い最近の付き合いの中で、イルカはこんなときカカシが何かをいって欲しいということに気づいてしまった。むしろようやく気づいた、というべきなのかもしれない。
「落し物、拾いました」
「は、はぁ。ご迷惑をおかけしました」
「違う違う」
 カカシが真顔のまま首をふり、手を振る。
「はぁ。えっとお手数を」
「違う」
 即答されれば、なんとなくイルカだって意地になる。
「お手を煩わせてすみ」
「違う」
「いつも色々」
「違う」
「このたびは!」
「違う」
 ぜぇぜぇ。
 続く応酬に喉が渇き、イルカは転がっていた酒瓶に手を伸ばす。それをぐびっと飲んでから、もう一度カカシの顔を見る。
「こぼれてますよ」
「あ、すみません。ありがとうございます」
 途端、目の前の顔がにこりとする。
(………うわぁ)
 子どものような笑顔だ。
 イルカは数度瞬きして、もう一度口を開く。
「カカシ先生」
「はい」
「…ありがとうございました。色々と」
「いえいえ」
 にっこり。
(うわーっ…!やっぱり、カカシ先生ってもてるんだろうなぁ)
 だがイルカも数秒してから、つられるように笑った。
 よく考えてみればおかしいことばかりだ。酒をあんなに運んでいた自分だっておかしいが、追いかけられて走っていた自分はひどく間抜けだ。
 でもまぁ。
「追いかけてきたのが、カカシ先生でよかったです」
 幽霊じゃなくてよかった。
 と続くはずだった言葉はどこかへ消えた。
 むしろ消されてしまったというべきか。
「え、あ…は?」
 気づけばもうそこは外ではなく。
 薄暗い部屋はカカシの部屋だと今更気づく。だけれど気づけという方が無理だ。だって本当についさっきまで、確かに自分は外にいたのだ。
「あれ?なんか部屋がすっきりしてますね」
 さっきまで外にいたイルカの目は光のない室内でもよく見えた。
「ええ。もう慣れないことは止めることにしました」
「は?」
 そしてその日。

 イルカが何を失って、何を得てしまったのか。
 それは多分。まだ誰も知らない。