秋と秋刀魚  



 どちらかといえば、イルカは魚よりも肉が好きだ。
 それはただ単に焼き加減が魚は難しいからだ。肉なら薄く気ってがっと炒めて終わりだ。男らしく。
 だが、この間。親しくしている元教え子が嬉しそうに、それはもう興奮を抑えきれない様子でやってきたのだ。
「でさでさ、カカシ先生ってばあーっという間に魚を捕ったかと思ったら、焼いてくれてさ。それが、もう…」
 興奮していた少年の言葉が一度そこで途切れ、ん、と思いイルカは採点の手を止めて横を向く。立っていた少年がその瞬間弾けるように全身を動かした。
「すんげ――っっ、美味かったんだってばよ!!!!」
「そ、そうか」
「もう一楽のラーメンより……。…うー、一楽のラーメンと張るくらい美味かったんだってばよ」
 なんて話を聞いてしまったから。
 久しぶりに買ってしまった。ふらりとよった魚屋で、秋だからと手ごろな値段になっていた秋刀魚。
(……しかし)
 イルカの口からはため息がもれた。
「いっそ…海に返すか」
 だって手元の袋にはどう見ても一人で食べきれない量の魚が。今更海に戻したってどうにもならないことは分かっているが、その辺に捨てるよりはいい気がするのだ。そんな錯覚すら起こってくる。
(しかしよぉ、あいつもなんつーかいっちょまえなことを言いやがって)
 元教え子で、忍者には成れなかった少年。家業を継いだといっていたが、楽しそうに、そして家業を嬉しそうに継いでいた姿はそれだけでもじんと来た。なのにイルカが来たからと大サービスしてくれたのだ。
 しかしそんな感動と目の前の魚は別だ。
 だって純粋に食べきれないのだ。こんな量。
「……誰かんち、持ってくか」
 なんてまともな発想が浮かんだとき、風が吹いた。
 イルカは目を瞑り、目を見開いた瞬間、目の前の人の背中があった。少し猫背。そして銀色の髪。手には一冊の本を持っている。
「…カ、カカシ先生!?」
「あ、偶然ですね」
「は、はぁ」
(こ、これって偶然っていうのか…?)
 なんてまっとうな疑問を持ってみるものの、イルカはそんなことを口にはできない。だって、相手は上忍なのだ。しかも、たまに挨拶もできて、たまに喋ることもできて、料理の腕もよくて、中忍である自分に一度その腕をふるってくれた稀有な人なのだ。
(違った意味でも、何も言えねぇよなぁ)
 だってせっかく話をしてくれるのだ。
 だからイルカはじっとカカシを見ると、カカシがマスクの上からも分かるようににこりと笑う。だからイルカもにこりと笑うとカカシは満足したような顔で、手にあった本に視線を戻す。まるで目の前に自分がいないような態度に、相手の集中っぷりを感じる。
(邪魔しちゃ悪いよ、な?)
 だからそっとイルカは足を右に出す。
 だが気づけば右に動いたはずなのに、目の前にはカカシが立っていた。
(…ん?)
 あれ、と思い左に動けばまた前にはカカシがいる。
 右、左。
「……」
 でもやっぱり目の前にはカカシ。
 右右左。左右右右。
「……。……っ、…!」
 後右左右右後、左左左左右。
 それでもやっぱり目の前にはカカシが。
 後右左左左後右右後、左後右右左左左右。
 それでもそれでもやっぱり。
「…ぜ、ぜぇ…ぜぇ…っっ」
 肩で息をするイルカの前で、やっぱり冷静に上忍は本を読む。
(な、なんとしてでも通ってやる…!)
 だって相手は本を読んでいるのだ。
 だが気づけば周りが暗くなっている。そろそろ同僚らも勝手に夕食をとってしまう時間だ。
 だからイルカはあっさりと自分のさっきまでの考えをすてて回れ右をする。違う道をとおって同僚の所へ行こうとするが、また目の前にはカカシが居た。
「……」
 後を振り向けばそこにも確かにカカシがいる。
 右を向けばそこにも。
 だからイルカはもしかしてと、恐る恐る声をかける。
「あ、あの…もしかしてカカシ先生お暇なんでしょうか?」
「ん?ええ、まぁ。41回目の読破に向かって頑張っちゃうくらいは暇ですね」
「それなら、もしよかったら……」
 と言いかけて止まる。
 だって誘ってしまっていいのだろうか。上忍を。
「じゃあ先に待ってますねー」
「え、あ。…えええ!?」
 口篭もっている間に何かをカカシが言ったと思ったら、一瞬で消えていた。イルカの手にあった袋も消えている。ついでにカカシの姿も消えて、自宅の鍵すら消えていた。
 だからイルカは必死で走る。
 すっかり忘れていたが、現在イルカの家はものすごい汚いのだ。男らしく。
 先日までのテストのせいで、採点に終われものすごい状態になっていて、間違いなく人をそのままあげれる状態ではないのだ。
 だから恐ろしい速さで自宅に向かい、扉を壊すようにあければ。
「……!」
 朝は見えていなかった、床が見えていた。
(こ、香ばしい…!なんだ、この匂いはっ)
 そして堪らない程食欲を刺激するこの匂いは。
 ふらりと誘われるようにイルカの足が玄関を通っていく。
「あ、お帰りなさい」
 当然のように部屋にいるカカシはちょうど食器を机に出していた。
「魚も焼けましたし、ご飯にしますか」
 あまりにも自然にカカシが振舞っていることに何の違和感も感じない。だって目の前の焼き魚に、白いご飯に味噌汁にお浸しが、ものすごい美味しそうだから。
 うちにあるはずの無い美味そうな米だとか。
 冷蔵庫空っぽだったはずじゃなかったかとか。
 そんなことは本当に些細なことでイルカは一口食べて、あまりの美味しさに悲鳴をあげた。
 それからその晩は、刺身と酒で晩酌をし、時間も遅かったのでカカシはそのまま泊まり、朝はカカシの手料理で一緒に家を出た。
(カカシ先生ってば絶対いい旦那になるよな。奥さん幸せものだよなぁ)
 そんなことを思いながら、イルカはほくほくと幸せな気持ち一杯で朝の道を歩いていた。