不安の前と後の暖かさ  


 外ではほとんどありえないことだが、家の中だとあの人がそっと寄って来ることがある。そうすると自然と手はあの人の頭をなで、ただ何も言わず何も聞かずそっと黒い髪の感触を楽しむ。
 どうしたのとか、何があったのとか、聞きたいと思うときもあったけれどこの人が言い出さないということは多分言いたくないことなんじゃないかと思って黙っていた。
 ぎゅっと抱きつかれるのは悪い気がしなくて、むしろ顔は緩んでくる。無言でも、それは本当に嬉しい。
 意味もなくくっつかれるのは苦手だったけれど、この人になら全然構わない気がした。結構盲目だと自分でも思う。
「カカシ先生」
「はい」
「カカシ先生は……」
 言葉はそこで止まった。続くのかと思って待ってみたが、言葉は途切れたままだった。
「イルカ先生?」
「あ、いえ。なんでもないです」
 きっぱり、目の前で答えられいつものさっぱりした力強い笑みに、多分もう聞いても無駄だなと思う。
 だから立ち上がり、お茶でもいれますね、なんて言って空気を変える。
 ふとその時、台所に張られたカレンダーに目がいった。今日の日付だけ何か印がついている。
「今日って何かあったんですか?」
「あ」
 思い出したようにイルカが立ち上がる。
「そっか。もうそんな日だったんだよなぁ」
 何がおかしかったのか、イルカは笑った後に答えてくれた。
「今日は母親の誕生日だったんです」
 へぇ、と呟いてみたが、もともとイルカは自分の反応なんて気にしていなかったようで、花ぐらい買ってくればよかったなぁと呟いている。
 忍だけれど情の深い人。
 とっくに家族なんてなくしてしまっているけれど、ずっとずっと気にしている人。
 予想以上に、この人は寂しがりやなのだと、分かったのはいつだったか。
「やっぱり家に人がいるのっていいですよね」
「そうですか?」
「そうなんです」
 きっぱりと断言され、慌ててイルカ先生がいれば俺はそれでいいですとつけたしてみたら、殴られたけれど笑顔を見せてもらえた。
 嬉しい。だけれど、ちょっと何かがひっかかる。
「…先生、人のいる家が好きなんですか」
「そりゃだって家ですよ。自分しかいなかったら詰まらないじゃないですか」
「はぁ」
 そういえば、初めて突然この家に訪ねたときも、驚きながらも恐ろしく簡単にこの人は部屋にいれてくれたっけ。
 で、思わず美味しく色々いただかせてしまったけれど、次の日の朝さすがに「やば」と思った俺に、この人は結構きいた一撃をくれたけれど、なんだかんだで許してくれてこうなって。
 そうだ。何かがひっかかる。
「あ」
 声をあげた瞬間、やかんが音をたててその声をかき消した。
「ねぇねぇ」
「火止めてくださいよ」
「俺が居なくなったら寂しいですか」
「はぁ?」
 頭の悪い質問をするな、と言うようにイルカは眉を寄せた。
「そりゃそうでしょう」
「一人になるからですか」
「そりゃ、あんたが居なくなればそうなりますね」
 その後は、なんて答えたのか覚えてはいない。ただお茶を入れたことは覚えている。
 すごい気を使って、珍しく動揺が顔に現れるんじゃないかと自分でも心配しながら、お茶をいれた。
 この人は寂しがりだ。
 俺じゃなくても、この家に誰かいればいいんじゃないのか。
 初めてもったその問いは、否定する材料が何もなくて、ああ、だから言葉がこんなにも少ないんだろうかと思えてしまう。
 心臓の音が、うるさく鳴り響いていて、切り捨ててしまいたい程邪魔だった。



「なんだかねぇ……」
 と呟くと、何故かため息までセットになる。
 そうすると、更に隣の髭の言葉までついてくる。
「ったく、うっとおしい…。俺の隣でため息つくんじゃねぇ」
「あんたが隣にいるからいけないんでしょ」
「お前がため息つくのをやめろ。そもそもなんでこんなに最近禁煙ブームなんだよ」
 健康のためか分からないが、受付所の喫煙スペースは最近減った。上忍控え室の喫煙スペースも減り、アスマが動けないのは最初から分かっていた。けれどこれくらいの憂さ晴らしをしないとやっていけない。
「イルカ先生ってさ、寂しがりやなんだよねぇ」
「ぶ…っ!!!」
 隣で男が盛大に咽る。思わずギロリとにらむと、にらみ返された。
「お前、いきなり何いいやがる!」
「だって本当だもん」
「だもん、じゃねぇっ。いい年した男に寂しがりなんていうんじゃねぇよ」
 そんなもんなの、と呟くとアスマは再度めんどくせぇと呟いて、煙草を吸い出した。
「なんで俺一番最初に家に行っちゃったんだろ」
 今更ながら、もっと違う方法であの人を手に入れるべきだったのかとか、不安に負けて考えてしまう。
「……そりゃおめぇが即物的だからだろ」
「だって、会いに行くのが一番早いじゃない」
「ものには順序ってのがあるだろ」
 受付で数度顔を合わしたり、挨拶を数度したことある関係。それが嫌でカカシは突然イルカの家へ行った。
 欲しいものはさっさと手に入れる。いつ死ぬか分からない。死にたくなんてないけれど、長生きできる保障はない。
「で、なんだ。上手くいってねぇのかよ」
「うーん」
「あの中忍の方は元気なかったぜ」
 分かってるよ、と呟いてからため息をつくと、再び面倒くせぇという言葉が聞こえた。
「多分昨日俺がさっさと帰ったからじゃない」
「…のろけか」
「違うよ。だから、あの人は寂しがりやなんだって」
 何でこんな所で髭を相手に説明しないといけないのか。切なくなって思わず席を立つ。
「ナルトと同じなんだよねぇ」
「誰が」
「俺が」
 あの人の中で。
 それ以上話をするのが面倒くさくて、決定的な言葉を口にしたくなくて、そのまま上忍控え室を後にした。



「入れてくれたんだよねぇ」
 初めてあった時のことを一体今日で何度思い出しているのだろうか。たった数ヶ月前の話。嬉しくて、まだはっきりと覚えている日々。
 無理やり押し倒したのはもちろん自分だけれど、結局そのまま関係は続いている。
 あの人は一人じゃなくなった。俺の執着も、多分あの人は知っている。あの人は、一人にならない。
「なんだかなぁ」
 夕日が照りつける川を眺めながら、思わずため息をつく。
 お約束すぎる光景につっこみをいれる気力もわかない。
「カカシ先生」
 呼ばれて振り向くと、すぐ後ろにあの人がいた。思わず反射的に距離をとるように下がる。
 まさかここまで近づかれて分からないとは。焦る気持ちもあったけれど、自分がここまでこの人を許していることを改めて知る。
 この人になら、殺されてしまうこともあるかもしれない。
「あ」
 眉間に皺がよっている。思わず指を伸ばしてそこにふれると、一瞬イルカの体がビクリと震えた。
 その皺が取れるように数度さすってみるが、イルカはわざとなのか皺を寄せたままにしていた。
 アスマが元気が無かったと言っていたのを思い出す。確かに目の前のイルカの顔には、隈が出来ている。それも濃いのが。
「イルカ先生」
「うるさい」
 ばし、と手を叩かれる。
「痛いです」
「そりゃ叩きましたから」
 元気がない、とアスマは言っていたがむしろこれは、機嫌が悪いだ。
 ここが家なら、その頭を優しくなでで、機嫌を取りたい。だけれど今は外だ。
 外でそんなことをしたら、多分この人は怒る。
「いつももっと痛い思いして任務こなしてるでしょう」
「イルカ先生に叩かれると痛いんですよ」
 言うと、イルカの眉間の皺がよけい深くなる。
 それが痛々しくて、思わず自分の眉間も、多分イルカとは違う意味で皺がはいってしまう。
「あんた、なんなんですか」
「え」
「昨日はなんであんな急に……」
 いいかけて、イルカは口をつぐんだ。まただ。また、イルカは止めてしまった。
 思えばこれは、全て自分が信頼されていないからだろうか。信頼されないでも、この人を手に入れれば言いと思ったけれど、信頼されないなら、全ては手に入らないのだと思う。
「イルカ先生」
 思わずまた手を伸ばすとはたかれた。すごい顔でにらまれている。
「あの」
「何なんですか…、あなたは一体俺を何だと思ってるんですか!」
「え。好きです」
「嘘だ!!!」
 イルカは悲鳴のような声をあげて、走り出す。
 ビックリして一瞬そのままにしてしまうが慌てて追いかけてその腕を取る。
「触るなっ」
 怒鳴られてぱっと手を離すとイルカはまた逃げ出した。
 しょうがないので、触らないで、だけれどピタリとくっついて走る。
「イルカ先生」
「呼ぶな呼ぶな呼ぶなっっ」
 分からない。だけれどその叫び声は悲痛に響き、思わず手を伸ばしかける。だが、ふと気づく。
 この声を出させているのは多分自分なのだ。
 足を止める。イルカはそのまま小さくなり消えていく。
 一度も振り返られることもなく、消えていった姿。思わずカカシはその場に座り込む。
 行ってしまった。
 あの人は、外での俺は家の中以上に必要無いのかもしれない。
 一人が嫌なあの人のため。このまま家にいてやりたいきもする。だけれど誰でもいいのなら。
「どうしよう」
 呟いてみると、本当に困惑していることが分かった。
「どうしよう、かなぁ…」
 呟けば呟くほど、困惑してくる。混乱する。
「どうすればいいのかなぁ」
「アホですか、あんたは!!!!」
「うわっ」
 横からの大声に思わず悲鳴をあげる。
 隣には戻ってきたのか、イルカが顔を真っ赤にして荒い呼吸をしながら立っていた。
「あんたは、馬鹿ですかっ」
「そんなに馬鹿ではないかと……」
「じゃあなんで追いかけもしないんです!どうでもいいなら、最初から放っておいてください」
 びし、っと言い放たれ一瞬ぽかんとしてしまうがこれは否定する場所だと慌てて身を乗り出す。
「いえ。放ってはおけないんです。おけないんですけど…」
「けど、なんなんです!」
 なんていえばいいのか。
 一番悩んでいることは何だったのか。
「ああ、もういいから全部喋ってください。何がけど、なんですかっ」
「あ、えっと。いえ、ただイルカ先生がつらそうな顔してるし…俺のせいかなぁとか、一人でいたくないから俺を入れてくれてたのかなぁとか…」
 ごにょごにょと言ってみるが、イルカから反応が無い。
 下を向いていた顔をあげると、般若のような顔をしたイルカがいた。思わず体が硬直する。
「ふざけんなっっ」
 頬に衝撃。昔なぐられた時よりも、強烈だった。
「ふざけるなふざけるなふざけるなっ」
 倒れたところを馬乗りされ、胸倉を捕まれた。
「あんたはいっつもそうだ。いっつも何も言ってくれないし……!」
「せ、先生ちょっと…つつっ」
 喋ると口の中に血の味が広がった。
「好きっていうなら何か喋ってくれ!俺は、俺は……っ」
 イルカは怒っていたはずなのに、泣きそうな顔になる。
「固い男の体だけど、あんたはそれが目当てだったのかと思うじゃないかっ」
 言われた言葉に、思わず目を見開く。
 何を言っているのか。目の前の男は。
「え。ちょっと、イルカ先生。落ち着いてくださいって」
「落ち着けるか、馬鹿!」
「だ、だってっ。俺の方こそ体目当てにされていたのかなぁとか……」
「何言ってるんですかっ」
 ガン、と頭に衝撃が走る。頭突きされたのだと知った。
「なんで、男の俺が、あんたの体なんか目当てにするんだっ」
「や。そうなんですけど…ほら、イルカ先生寂しがりやだし……」
「いい年すれば寂しがりやだって、なんとか我慢できます」
「でも、家にいると外と違って、すぐ寄ってきてくれるし、昨日も一人は嫌って」
 なおも言い募るカカシにイルカは再度頭突きを食らわしてくる。
 中々イルカの頭は固く、カカシはくらくらと意識が揺れる。
「普通一人が好きな人なんていません!それに擦り寄るのは、あんたがっ……あんたが」
 怒るイルカの顔も、いいなと普通に思ってしまうのはしょうがないと思いたい。
 だって、本当にこの人のこの性質が、性格が好きで、笑顔が好きで、何もかもが気になってしまって、側にいたいなと無理やりいさせてと寄ってったのだ。
「あんたがっ、嬉しそうな顔するからじゃないですかっ」
「え」
「じゃなきゃ誰が寂しくても…っ、あんな…!」
 言われて思う。
 そう。この人は男らしくて、努力家で、実は嘘をつくのが上手い。
 なのに、中身は寂しがりやで、それが可哀相で、自分の寂しい思いなんて麻痺してしまったけれど、この人の中にそれが沢山埋まっているのは嫌な気がした。だからあんなにも生活に勝手に踏み込んだ。
「ごめんなさい」
「あんた、本当に馬鹿です」
 泣きそうな顔をさせてしまった。けどじんわりと、暖かいものが体の中に生まれる。
「好きです」
「俺も好きですよっ」
 やけくそのように叫ばれ、一瞬耳を疑う。
「え、本当ですか!?」
 思わずがばっと上半身を起こすとイルカが驚いたように、体を後ろに倒す。それを支えてぐっと顔を近づける。
「本当ですか、それっ」
「あんた……っ」
 イルカが唸るように何かを喋っている。
「ずっと、まさか知らなかったとかいうんじゃないでしょうね…」
「はい」
「ふざけんなっっっ」
 だが、その叫び声は途中で消えた。
 怒鳴り声を聞くのも嫌いじゃない。だけれど今は聞かないでもいい。
 開いた口に、思わずかぶりつく。暖かい舌を絡めとり、呼吸が出来ないほど近づいて見る。
 暖かい。気持ちい。
 ちゅ、ちゅと、なんどか唇を噛むようにしてから、再度強く舌を絡め取る。イルカは逃げることなんて出来ないのに、後ろに逃げようと背中をそらすからそれを追いかけていく。
 自分の足のうえで、それをまたいで座るイルカ。
 どうやら俺はこの人を手に入れることができていたらしい。
「っ、…、れは、怒ってるん、ですよっっ」
 口が離れると、汚れた口元をごしごしと拭いながらイルカが叫ぶ。
 緩んだ顔で、それを見つめると顔を赤くしてイルカはそっぽを向いた。
「俺が居なくなったら、寂しいですか?」
 緩みきってるだろう顔で聞くと、イルカは再度怒鳴るように口を開きかけたが、諦めたように口を閉じた。
 それから大好きな笑顔を浮かべて告げてくる。
「家に帰ってたら答えます」
 一人より、本当二人がいい。
 カカシも笑って、それからもう一度ついばむような口付けをイルカにしてから立ち上がる。
 イルカが立つのに手をかして、それからそのままその手を掴んで歩き出す。外でのそんな行動にイルカが何か文句を言おうとしていたが、そのままぎゅっと握り返してくれた。
 幸せだ。
 本当に幸せだ。
 幸せすぎてちょっと泣けると思えるほど、幸せだと思う。だけれど、それをどう言葉で隣の人に伝えればいいかわからなくて、ただぎゅっとその手を握ってみた。
 それは、とても安心できる暖かさだった。