俺のせいじゃない!


 最近非常に困っていることがある。
(まぁいいんだけどさ)
 イルカはため息とともに机の上に置かれていた、どう考えてもゴミ箱の中身でしかないそれらを、元のゴミ箱へと乱暴に落とした。引き出しをあけると、さすがに資料には手を加えられていないが、資料をとじている紐はめちゃくちゃな結び方をされ、文具はなくなっている。椅子は軽くけっとばすとガコンと上の部分が外れた。
(古典的というかなんというか)
 自分がこんな面倒な嫌がらせを受けている理由は簡単だ。孤高の有名人、はたけカカシと繋がりがあることが木の葉新聞で勝手に公表されたからだ。己の言動の持つ力をまったく分かっていないカカシに思わず怒鳴りはしたものの、こうして受ける嫌がらせの全てをカカシのせいだと苛々しているわけではない。
 そもそもこんな嫌がらせ程度どうでもいいのだ。ただ、何もなくとも量の多い仕事が益々はかどらない。はかどらないと残業になる。残業になると上司に嫌味を言われる。自分も疲れる。という、妙な悪循環に苛立ってしまい、元凶であるカカシについつい腹がたつ、という図式なのだ。
 いや、イルカとてカカシが普通に生活しているだけならば、自分の力不足のせいもあると腹をたてることはない。何故か、カカシに懐かれ平日でも夜でも遊びにきたり、のんきに声をかけてくる姿をみると、無性に腹が立ってしまうときがあるのだ。それでも、カカシがさほど――むしろ全く気にしていないようなので、この際もうよしとしたい。
 そう。よしとしようと思っていた。
 だが。
「正面きって喧嘩うってくれりゃいいのに…」
 度重なる地味な嫌がらせに、思わず声にもれてしまう。
 腹いせもかねて何度かカカシを殴ったりもしてしまったが、いつまでもそんな八つ当たりをしているわけにもいかない状況になってしまった。
 この数ヶ月、突然カカシの姿が消えた。
 理由はただの任務で、カカシは特に何も気にしていなかったようだが、イルカとしては色々己の言動も反省していたのだ。もっとも、帰ってきたときの能天気な顔を思い出すと、まだまだ幾らでも体の中から勝手に怒りがわいてくるから不思議だ。己の言動を反省するという謙虚な気持ちは一瞬で消え去ってしまう。
 イルカはため息を一つつくと、今日の仕事に必要な資料をとるために席を立つ。さすがにこれだけ人がいる時間、かつさほど時間を空けないで席に戻る場合は何も悪戯はされない。敵もあまり目立った行動は取りたくないようだし、取れないことは分かっている。
「あいつさ、本当にうまいこと上にはやるんだよな」
「そもそも健康体でさ、あいつなんで内勤やってるんだよ」
「死にたくないからじゃねぇの?」
(丸聞こえだっつーの)
 資料室に一歩踏み込めば、机で休んでいる忍達がそんなくだらない話をしている。全部を聞かなくとも自分の話題だとすぐ分かる。一人の声は聞き覚えがある。たぶん同僚の一人だと推測するが、個人の特定はあえて放棄する。考えても、詮索しても何にもならないことだ。
 気配を消したまま、相手の視界に入らない位置で資料をイルカは手にし、すばやく退室しようとして何かに勢いよく顔をぶつけた。
「っ!?」
 まったく気配を感じなかったと思えば、そこには呆然とした顔で立っている男がいた。
(げ)
 イルカは思わず男の腕を引っ張りあわただしく部屋を出る。廊下に出て少し距離をとってから、イルカは男の方を振り向いた。
「あんた、何してんですか。あんなところで」
「イルカ先生の姿が見えたので、後をついてきてみました」
「…みました、じゃないですよ」
 疲れた口調で言うと、イルカが引っ張ってきた男――カカシはばっとイルカの腕をつかんだ。
「そうじゃなくて! イ、イルカ先生は…いじめられてるんですか!?」
 泣きそうな顔で叫ぶ男に、イルカは思わず頭突きをする。
「一番最初に! お前が木の葉新聞で余計なことを言うからややこしくなったって言っただろうがっ」
「だって、あんな酷いことを…っ。俺なら怖くて出歩けません!」
「出歩け!」
 情けないせりふを堂々と叫ぶ里の誉れにイルカは思わず渇を入れる。イルカも最初にカカシが「にゃー」と鳴いている姿を見たときは衝撃だったが、まだほかの里の人間は火影の努力のかいもあって、カカシの真の姿に涙をすることはないだろう。
(苛々する)
 イルカは妙に最近カカシを見ると苛々する気持ちを感じる。カカシが本当に悪いと思えるとき意外は、当然だがそれをぶつけることなどしたくない。だからこそ、苛々したとしても敢えてこらえる。だが、最近は何かが違う。
 今も何かおろおろしたり、ずれたことを口走っている男に喉まで何かが競りあがる。
 それをイルカはなんとか気合で飲み込んだ。
「…一応、俺だけじゃなくて、俺とこうして話に付き合うことで、あなたも悪くは言われてるんです」
「え!」
 カカシはその言葉に勢いよく顔をあげ、真面目な顔になる。
 さすがのこの男も、自分の評判も下がっているとしれば、少しは周囲を気にするのだろうか。
 一瞬そんな考えがよぎるが、それは本当に一瞬だった。
「……やっぱり、みんなのイルカ先生を俺がとったから…」
 はたけカカシは、とても真面目な顔をしていた。
「あなたの脳みそは間違いなく腐ってますね」
「え? 腐ってないですよ。腐ってたらさすがに俺も生きていませんって。あはは」
「くたばれ!」
 ガンと本日二度目の頭突きをする。さすがにくらりとしたが、それ以上のダメージを相手に与えられたようでひとまず満足をする。これ以上何か、よく分からない感情が爆発しないうちにイルカは背を向けた。
「では。仕事中ですので。追ってこないでくださいよ。仕事中ですから」
「…はい。あ、先生!」
 呼ばれて一応振り向くと、カカシが笑顔でイルカを見ていた。
「お仕事、がんばってくださいね」
「……ありがとうございます」
 イルカはうなるような声で、疲れを逃がしながら答えることで精一杯だった。同僚らに対するくだらないイラつきはもう消し飛んだ。消し飛んだが、また違う疲れを受け取ってしまったとしか思えない。
 はたけカカシは謎の人物。
 思考回路は完全に読めない。そして一番分からないのは、この自分を好きだということだ。間違いなく、好きなだけ好きなものを選べる立場だというのにだ。
(心臓いてぇ)
 押さえながら、思わず元凶をちらりと振り向くと、カカシはまだ自分を見ており、ぶんぶんと手を振っていた。
「……」
 反応することも出来ないほどの脱力感を覚えたが、一応勤めとしてポケットにはいっていたチョークを全力でぶつけておいた。
 何か後ろから聞こえた声はきかなかったふりをし、イルカはため息を一つつく。
(痛いのは、心臓じゃなくて頭か)
 頭痛薬でもこれは治らないだろうということは、もう悲しいことに、確かな事実としてイルカは分かってしまっていた。



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