微妙な話  



 暗部を止めて、戦忍でも無くなった今でも、はたけカカシの元には難易度の高い任務が回ってくる。
 時間だけが掛かるものから、神経をすり減らすもの、体力的に過酷なものも中にはある。だが、どれも「はたけカカシ」ではないと出来ないという判断の元来るため、上忍師となった今なら拒否することもできるのだが、カカシは基本的に全てを受け付けていた。
 今日の任務も、その一つでひどく曖昧な内容の任務だった。
 任務の全容が伝えられないことはよくあるが、本当に達成したのかも分かりづらく、また、そのためのくぐりぬける制約も酷く曖昧で、妙な気だけを使う精神的な疲労感の強いものだった。
(……疲れた)
 こんな日は本当にゆっくり休みたい。
 里の門が見えると、カカシはそっとため息をついた。
 時間はまだ夜になったばかりで、この時間ならちょうど自分の恋人も家に帰ってきているかもしれない。
(イルカ先生、来てるかなぁ)
 もし来てなかったら。
 何か特にあるわけではないけれど呼んだら、怒られるだろうか。
 機嫌がよければ、向こうに何もなければ、呼んでも怒られることもないとは思う。別に普段なら怒られてもそれは照れ隠しだと分かっているから、何の問題もない。
 だけれど今日はなんとなく、優しくされたい。
(……いい年なのにねぇ)
 だが、受付所で報告を終えたカカシの視界には、明かりの灯っていない己の家が見えてしまう。
「はぁ」
 ため息をつきながら、重い足取りで扉を開ける。
 それから、不貞寝するようにカカシはそのまま玄関口に倒れこんだ。





「え」
 穏やかな感触にカカシが目を開けると、目の前にイルカの顔があった。
 咄嗟に言葉が出ない。
 ついさっきまで、一人玄関口で倒れるように寝ていたはずだ。
 だが、何故か今自分の頭はイルカの膝の上でイルカに髪を撫でられている。
「目、さめましたか」
 どこか憮然とした声ではあるが、その指も雰囲気もどこか優しい。
「……え」
 カカシはもう一度声を出して、明かりはつけられたものの自分がまだ廊下にいることが分かった。
「あんまり、無理ばかりしないでくださいね」
 いつもなら間違いなく、廊下で倒れてることに小言を言われている。
「それに、無防備ですよ。こんなところで」
 いつもならばむすっと怒られるように言われているはずの言葉がまるで優しく労わるように聞こえてくる。
 カカシは数度瞬きを行い、呆然と震える手でイルカの手を掴む。
「すごい顔ですよ」
 あげく、イルカは呟きながら、ふと笑った。
 その瞬間、カカシはとうとうがばりと悲鳴をあげて起き上がる。
「…いっ」
「え?」
「解けない…っ」
 印を切った手で、カカシは懐から、己のくないを取り出す。
 そしてそのまま自分の腕に突き刺そうとして、慌てたイルカの手によりそれははたかれる。
「カカシさんっっ」
「痛くない……」
「ちょっと、カカシさんっ」
 はたかれた手も痛くない気がして、呆然と呟けば、イルカに思いっきり頭をはたかれた。
「……痛い?」
「そりゃ痛いでしょうよ。それとも本当にくないで刺されたいですか」
 剣呑な空気に、カカシはぶんぶんと首を振る。
 だが妙に安心して、そのまままたパタリと床に倒れた。
「…びっくりした」
「びっくりしたのはこっちですよ」
 イルカはため息をついて、カカシの横へと移動してくる。
「人がせっかく、出迎えてれば」
「……何か、あったんですか」
 カカシはそのありえない出迎えを思い出して、ふと心配がよぎる。
「俺は、別に何も無いですよ」
 強調された単語に、カカシは首を傾ける。
「じゃあ、俺に何かあるんですか?」
「ありますよ」
「…任務に行ってただけだと思うんですが」
「もっと違うことがあるじゃないですか」
 怒ったような顔。
 だけれど、どこか呆れたような顔をイルカはする。
 だがその顔を見てると、カカシの手は自然とイルカに向かって伸びる。
「カカシさん」
「や、つい」
「…あんたって、本当……」
 一体何がそんなにいいんですか。
 とため息をつくように呟いて、そのままイルカがカカシの肩に顔を埋めてくる。
「俺、あなた程顔がいいわけでも、稼ぎがいい訳でもなんでもないんですが」
「俺、顔いいですか?」
「その聞き返しは、嫌味ですか」
 ぎりっと腕をつねられ痛いと思うが、顔が緩む。イルカに誉められるのは悪くない。
「まぁあんたよりは真っ当だと思いますけどね」
「そう?」
「そうですよっ」
 風呂で溺れないし、腐ったものも食べませんし。
 といわれたら、カカシも苦笑いするしかない。だけれどそんなこと、別にカカシにはたいしたことではないだけだ。
「でも、先生俺を好きな時点で真っ当じゃないと思いますよ」
「……自分で言わんでくださいよ」
「あはは」
 笑うと、イルカがぎゅっとしがみついてきた。
 軽口を言っているだけなのに、恋人は根が真面目なのだ。
「もうすぐ、誕生日でしょう」
 ぽつりと言われた言葉に、イルカを見ると、露になった首すじがほんのりと赤い気がする。
 そうだ。
 根が真面目で、そして基本的に照れ屋なのだ。自分の恋人は。
 その照れ隠しが、たまに殴る蹴るになることもあるけれど。
「……ありがとうございます」
 嬉しくて、ぎゅっと抱きしめるとイルカが悲鳴をあげる。
 それは苦しいからか、恥ずかしさが爆発したのか、さすがに理由までは分からない。
「今週一杯ですよ!」
「十分です」
「でも、あんた明後日から…誕生日から任務ですよ」
「は!?」
「任務通達、受付で報告されなかったんですか?」
「……知りません。が、休みを請求します」
「休みとってどーするんですか!」
「えーだって、本当は俺断る権利あるんですよ」
 もう暗部じゃないし。と呟くが真面目で、乱暴な恋人が思い切り、頭突きをかましてくる。
「いーから、任務はちゃんと受けてきなさいっ」
「じゃあ残りの分は、繰越してくださいね」
「……多少さっぴかれますけどね」
「十分です」
 任務を蹴る気なんてもともと無いし、実際蹴らないことは多分目の前の男も分かっている。
 だけれど甘えられる相手も、甘えさせてくれる人もこの人しかいないので、ひとまず思いっきり駄々をこねるくせが最近ついてきてしまったと、今更ながらカカシは少しだけ実感していた。

(あいつ等には、見せれないねぇ)


 それは、最もな感想だった。